遠く清和天皇の貞観五年(863)、疫病が世の中に流行し、これによって亡くなられる人は幾千人にもなりました。天皇はいたく御心を悩ませられ、その年の五月二十日、神泉苑において御霊会を執行なさいました。
 その時一種の煎餅を創製し、神前に供えてこれに疫病よけの「唐板煎餅」と名づけ、広く庶民に授与されて、その身の安全をはかるようになさいました。
 これが唐板の始まりです。それ以来、御霊会は絶ゆることなく執り行われてきましたが、応仁の乱のため残念ながら絶えてしまうことになりました。
 乱後、我が祖先は御霊神社境内に茶店を造りました。そしてこの唐板煎餅の由来を聞き、それが廃れてしまったことを大変残念に思いました。そこで、古書を頼りに製法を会得し、再興をはかったところ、その風味が多くの人々に喜ばれ、御霊神社の名物となり、また厄病よけの煎餅としても世に知られるようになりました。
 明治維新前までは、皇室に皇子が誕生されると、百二十日を経て御霊神社にご参詣される際には、必ずこの「唐板煎餅」を御土産としてお買い上げになるのが恒例でした。
 その後、氏子においても初宮詣り、七五三詣り、年詣りの節には御土産として用いられるようになりました。殊にその雅味は茶人各位に珍重され、現在も三千家はじめ多くの人に愛されております。また近年、一般の贈答用にもお使いいただくようになってきました。
 今後もなお一層の精進を続けていく所存でありますので、何卒、日本最古の菓子としてさらなる御愛用あらんことを切望する次第です。
京都 上御霊神社前
本家 水田玉雲堂
主人謹識