御霊神社(ごりょうじんじゃ)。通称は、上御霊神社(かみ――)。この地から南へ3キロ程のところに下御霊神社があるのでそう呼ばれるようになったのであろう。
 平安遷都の年の、延暦13年(794)に、桓武天皇により創建される。御祭神は、崇道天皇(すどうてんのう)・吉備真備(きびのまきび)等、10神が祀られている。
 御霊信仰から生まれた祭礼である御霊会(ごりょうえ)の発祥の神社。

 この鳥居の真ん前に弊店がある。
 上の写真の電柱の左にあるのが、右写真の市指定による「応仁の乱勃発地」の石碑である。

 この上御霊の森に、細川勝元の率いる東軍が陣取り、一方西軍は、ここから西方2キロ程にある、今の今出川大宮あたりに、山名宗全が陣を敷いた。
 それぞれ、東陣・西陣と呼ばれたが、西陣だけが西陣織等、今でもその名を残している。
 神社の門をくぐってすぐ右手の場所に藤の棚がある。この場所で弊店は茶店をしつつ、唐板を商っていた。現在の神社前に移ったのは、昭和15・6年頃である。